津野町にあった四万十川の源流点!でもそこは厳しく険しい山道だった【高岡郡津野町】
ども、大山です!
前回は、東津野の奥にある長沢の滝に行っていましたが、
その後すぐに行っていたのがそう、四万十源流点。
gooogle mapで調べてみても
このとおり、帰りながら少し寄り道すればいいだけかななんて感じでした。
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が!!!
この選択が自分自身に試練をもたらすことになるなんて
この時の知る由もありませんでした・・・。
ここから長くなりますが、僕も頑張ってみたので、
覚悟してお付き合いくださいっ!(必死
長沢の滝から高知方面へと車を進め、一路満天の星のある船戸地区を目指します。
満天の星の近くには源流点までの距離が記されていますが
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地図で見た感じ、そんなに距離は離れてなかったはず。
満天の星に到着ー。
ここから7.8km・・・山道の7.8kmが何を示すかまったく気づいていない大山でした。
道中にはところどころに源流点を指す標識が立て掛けられています。
山中をどんどん登って行きます。
どんどん登って・・・
気付けば随分高くまで来たものだ(笑
四万十源流センター せいらんの里の入り口!
今回は華麗にスルーですが、せいらんの里の入り口には室町・南北朝時代の高僧で将軍足利義満の信任も厚かった義堂・絶海の銅像が建立されています。
■出典:室町・南北朝時代の高僧 義堂 絶海の銅像
何故、彼らの銅像ががここに建てられているのかというとwikiにその答えが載っていたので一文を参照。
建武元年(1334年)11月13日、土佐国高岡郡津野(高知県高岡郡津野町)を支配していた豪族・津野氏の一族として生まれる。義堂周信とは同郷である。貞和4年/正平3年(1348年)に上洛して天竜寺に入った。観応元年/正平5年(1350年)に剃髪する。そして翌年に師匠である夢窓疎石が死去するまでは、その側に仕えたと言われる。
さてさて、引き続き源流点を目指して車を進めます!
山道はどんどん緑が濃くなり、
道によっては、夕暮れに近い暗さになることも・・・。
この坂を登っていけば・・・
良かった!やっと到ちゃ・・・ん?
何か看板に書いてある
四万十源流点登山口 25分・・・。
軽く絶望しつつも、登ることを決意!
もう日が傾き始めたので時間を確認すると、
15時52分・・・何より、
電波が入らない・・・!!
これは急がないと・・・!
登り降りトータルで計算すると50分。休憩も考えると1時間はきっと超える・・・。
暗くなる前に下山したい。
そんな考えが頭のなかをぐるぐる回りながらいざ登山開始!
登山道にそって用意してくれている看板がとっても親切!
ただ
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道は険しい・・・(汗
こ、ここが源流点ですか!!?
(そうだと言って欲しいっ。。
写真を撮る気力も登る気力ももう限界・・・。
え、まだ先ですか。。。
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つ、着いた~っ!!!!!
長かった・・・長かったよ。。。
源流点を流れる水が冷たくて気持ちいいっす!
広大な四万十川の流れの元となる源流点がこんなささやかなせせらぎから成り立ってるんだと思うと、どこか感慨深いものを感じます。
■出典:wikipedia 「四万十川」より
この広大な四万十川のようにどんな大きなものでも、始まりは小さく些細な事から成り立っているんですよね、、、!
(オレ、良いこと言ったぁ~~~~、、、!!!!!)
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え~~~~と、、、
ここからまた戻るんですよね。。
つ、つらたん(´・ω・`)
戻りの看板は結構まばらなんで、実際に行かれる時は気を付けて戻ってくださいね?
実際、僕も単に道を覚えてなかっただけかもしれませんが、
うっかり迷ってしまって遭難するんじゃないかと少し焦ったり、前日に降っていた雨のせいで足元が緩くなっていて何度か足元が崩れて転んだり。。
そんなこんなで、なんとか元来たルートを見つけて、案内看板を辿りながら戻っているとこんな看板が・・・。
こっち おいで 帰り道→
踏んだり蹴ったりのあとで見つけた看板なんで、なんか軽い恐怖を覚えてしまいました・・・^ ^;
なんとか下山し、車まで戻ることができましたが、もう写真を撮るような気力は残っておらず・・・(笑
ヘロヘロになりながら車に乗り込み、帰路に就いた僕でした(ちゃんちゃん